「実は1期生入学の時に、母からベンジャミン学校を勧められました。その時は体調もすぐれず、代替学校(フリースクール)に対する否定的な目で見て選択することができませんでした。1期生の成長ストーリーを『本当かな?』と疑ったりもしました。でも、2期生として入学し、活動してみると『1期生の変化が本当だったんだ!』と思います」
「一瞬の選択が人生を左右する」という言葉は嘘ではないようだ。ユック・ドンヒョン(18) にとってベンジャミン人間性英才学校(校長 キム・ナオク、以下 ベンジャミン学校)の入学は、人生の基盤となる夢や希望を探すきっかけになった。
目標もなく勉強するばかりの学校生活に嫌気がさしていた頃だった。ユック・ドンヒョンがベンジャミン学校2期生として入学を決めたのは、人間性キャンプに参加してマイクインパクトのハン・ドンホン代表のメンター講義を聞いたからだった。「勉強は、価値あることを見つけたときにしても遅くない」というハン代表の言葉が彼の胸を突いた。
「大学も一浪、二浪するのに、高校の1年ぐらい人生のために投資してもいいと思いました。机の前に座って義務的に勉強したからって答えが出るわけでもないじゃないですか。大事なのは、ワクワクするようなことを見つけることです。ベンジャミン学校に来て良かったと思うのは、私が自由に使える時間が多いことです。何をするか自分で悩んで計画して実行する、そのすべてを自己主導的に行える環境に出会ったのです」
ユック・ドンヒョンは、ベンジャミン学校に入学してからというもの、1日が1か月に思えるほど忙しい毎日を送った。3月からバイト、ディフューザー販売プロジェクト、ラブハンズ・ツアー(天安、大邱、釜山)、マラソン大会、マイクインパクト ハン・ドンホンのスペック超越メンタースクール、青年ユニオン(労働組合)など、様々な活動に挑戦した。主人意識で主体的に動けば動くほど活動を通じて感じることや学ぶことも多かった。
「ベンジャミン学校に来てから誠実になりました。私の最大の欠点が三日坊主でしたが、雨が降っても体調が悪くても、時刻もせずに毎日バイト先に行っています。朝9時に学校へ行くのも面倒くさいと思っていた私がマラソン大会のために早朝5時に起きて練習し、日記も毎日書いています。体力もついて性格も明るくなり、忍耐強くなりました」
ベンジャミン学校の友だちと一緒に行なったディフューザー販売プロジェクトで、彼はリーダーシップを発揮した。プロジェクト企画から資金の準備、ディフューザーの材料や販売市場の調査、日程管理など、何から何まで責任を持ってチームを導いた。経営コンサルティングに関心があり、一度プロジェクトを運営してみたかったという。
「美術の才能がある友だちが、どうやって売ればいいか分からないと言うので一緒にプロジェクトを始めることになりました。韓国ではディフューザーが高いので低価格のディフューザーを作ってみようと思いました。プロジェクトのために私のバイト代60万ウォンを全部つぎ込みました。材料のリサーチに200~300カ所は行ってみました。私たちを信じて買ってくれたので、収益金は社会に還元したいと思います。アフリカの子供たちに毎月6万ウォンのチャイルドスポンサーを10カ月間しようと思っています」
ユック・ドンヒョンは、様々な活動に挑戦しながら自分の夢を探した。9月には「マイクインパクト ハン・ドンホンのスペック超越メンタースクール」に合格し、最年少教育生になった。3カ月の教育を通じて講演企画者としての才能を開花させノウハウを学んでいくつもりだ。「運良く人間性キャンプのメンター特別講義で出会ったハン・ドンホン代表が私のメンターになってくださいました。ハン・ドンホン代表のように私も多くの青少年に夢を伝える人になりたいです。ベンジャミン学校を通じて私が成長し、ワクワクするようなことを見つけたように、講演をきっかけに人々が希望を見つけてくれたらいいなと思います」
彼は 「1年後に後悔しないようにしよう。与えられた時間を満足いくように過ごそうというマインドで今までやってきた。残りの期間も引き続き新たなことに挑戦し、また別の成長ポイントを探していく」とし、「私の夢は講演企画者なので、11月には自分の力でトークショーをやってみたい」と今後の抱負を述べた。